ハンガリー人が模索するハンガリーの姿:「カメムシ」政権の誕生とハンガリーのこれから
「一歩ずつ、レンガ一つずつ、国を立て直す」。これは、ハンガリーの新政権を獲得した政党ティサ(Tisza)の党首マジャルが、政党発足から2026年4月12日の選挙で圧勝するまでに繰り返してきたスローガンである。
この一連の流れで注目に値するのが、現在に至るまで16年間政権を握り続けてきたオルバン率いるフィデス(Fidesz)支持層とティサ支持層の間の温度差である。ティサ支持者らが「新しい時代の幕開け」を喜ぶ中、フィデス支持者らがただの敗北感とは結論づかないような反響の中にいるのを肌に感じるのは気のせいではない。外国メディアで報道されるのは最終的な結果のみとなりがちだが、その裏には国と次世代の先行きを大きく左右しうる激しい論争があったことを、主に国内の状況に着目して深堀りしようと思う。
フィデス政権が16年続いた構造
ティサ支持が広がっていった背景として、長年にわたる汚職問題の存在は無視できない。フィデス政権に対しては、公共調達やEU資金の運用をめぐる構造的な汚職が指摘されてきた。具体的には、公共調達が特定の企業グループに集中しやすく、国家およびEU資金の配分プロセスの透明性が低いとされる。その結果、政治的なつながりを持つ企業や個人が経済的利益を得やすい環境が形成されていると批判されている。
また、メディアや監査機関への影響力が強いことで、汚職の監視機能が弱まっているとの懸念も続いてきた。実際に欧州不正対策局(OLAF)は、複数のハンガリーの事業で不正の疑いを指摘しており、EUは法の支配や汚職リスクへの懸念から、一部の資金提供を保留または制限する措置を取っている。また、国際NGOであるトランスペアレンシー・インターナショナルの指標でも、ハンガリーのデータは近年悪化傾向にある。
一方で、政権側はこれらの批判を否定しており、公共調達は法的枠組みに基づいて運用されていること、また同様の問題は他国にも存在するが政治的に強調されているに過ぎないと主張している。
それでもフィデスが地方を中心に強い支持を維持してきたのは、政治的評価と日常的な利益構造が結びついているためである。地方では公共事業や自治体予算が雇用や地域経済に直結しており、政権と関係の深い企業やネットワークを通じて資金や事業が配分される傾向がある。そのため、政権との関係が地域の経済的安定につながるという認識が生まれやすい。また、家族支援や住宅補助などの政策は地方ほど直接的な恩恵として受け止められやすく、生活改善の実感が支持につながっている。さらに、政府に近いメディア環境の影響により、政権批判よりも安定や秩序を重視する言説が浸透しやすく、情報の受け取り方にも偏りが生じやすい。加えて、移民やEUに対する懐疑といった争点が、保守的な価値観を持つ地方層と一致しやすく、文化的・政治的アイデンティティの面でも支持を強めてきた。
ここで重要なのは、問題の有無そのものではなく、それがどのような構造の中で理解され、正当化されてきたかという点である。
社会分裂を扇いだ構造、格差、情報格差
こうした状況の中で見落とせないのが、汚職や政治的不信が単独で存在していたわけではなく、それを受け止める社会の側にもまた、分断を生み出しやすい構造が重なっていたという点である。
まず大きいのは、経済的な格差である。都市部、とりわけ首都と地方のあいだには、賃金水準や雇用機会、公共サービスへのアクセスといった面で明確な差が存在している。この差は単なる生活水準の違いにとどまらず、「何を現実として認識するか」という前提そのものを分けていく。都市では汚職や制度の歪みが問題として意識されやすい一方で、地方では日々の生活の安定や具体的な利益が優先されやすい。
さらに、ここ数年間、メディアへの圧力が強まっていった中で、政治的出来事は異なる文脈で語られ、同じ事象であっても全く別の視点で、ニュアンスを変えて語られる。新政府派の報道では汚職疑惑は「攻撃」として処理され、政策は「保護」として提示されるような語りの枠組みが繰り返されることは、一般人の思想そのものに大きく影響をきたす。そして、結果として生まれるのは、単なる意見の違いではなく、共有される前提の断絶である。ある側にとっては明白な問題が、別の側にとっては存在しないか、あるいは重要ではないものとして扱われる。
こうした流れのなかでは、支持政党の違いのせいで家族がクリスマスに同じテーブルを囲えなくなったこと、反フィデスの子世代の家族がフィデス支持者の一人暮らしの親と連絡を絶つようなことが当たり前のようになり、お互いにお互いを敵視する構造が私生活にも浸透していった。
病院、教育機関に蓄積していた歪み
ハンガリーの医療の現状においては、長期的で深刻な問題がある。最大の課題は①医師・看護師の海外移転や離職による深刻な労働力の欠如、②病床不足などによる病院そのものの医療提供能力の低下、そして、③継続的な負債増加による財政的な破綻である。これらはそれぞれがそれぞれの課題を悪化させるという負のスパイラルにある。
医療従事者の中では、2003年から2011年の間に、約12%が海外へ移住し、さらに16%が職を離れた。この主な理由は周辺国との間の賃金格差で、海外では国内の7~10倍もの収入を得られる一方、国内では多くの人がより良い収入を求めて別の職業に就く。海外移転の傾向は特に若い医療従事者の間で強くみられてきており、毎年、数百人の医師が海外で働くための証明書を申請している。こうした労働力不足は病床不足をよんでおり、そのまま医療の現場の余裕を奪っていく。Telexの記事によると、ブダペストの聖イムレ病院においては2025年11月時点で541の病床のうち機能していないのは平均で70であったが、こうした状況は真新しいものではなく、過去には複数回大規模な人員削減が行われており、2015年においては、集中治療室の麻酔科医8人中6人が「持続的でない労働条件」を理由に辞職したケースがあった。
これらの状況の計画的・長期的な改善は政府によってなされてこなかった。資金調達や運営の不備は債務の再生産につながり、対策が応急処置的なものにとどまっているという現状があり、医療措置の質の低下にもつながっている。それは国民にとっては、例えば「診てもらえるはずの病院で、診てもらえない」という、ごく日常的な不安として現れる。
このような腐敗がみられるのは医療機関だけではない。教育機関においても、長年政府との緊迫した対立状況が続いてきた。教育関係者によると、主な要因は教員の給与の低さ、常態化した過剰労働と教員不足、さらには議会による教員・生徒の権利を制限する制度の導入である。これらにより、デモやストライキ、抗議活動が定期的に行われるようになり、これらには教師だけでなく、生徒や生徒の保護者も活発に参加した。ただし、実際には制度を変えるきっかけには発展せず、抗議に参加した教師や生徒がハンガリー各地で辞職・退学に追いやられたケースが多発した。
事態がさらに悪化したのは2023年7月4日、議会が教師の法的環境と労働条件を大きく変革する、いわゆる地位法(státusztörvény)を採択した際である。政府側はこれを教職の環境改善を目的としたものと説明したが、内容には、政府の教育運営機関により:
・教員を本人の同意なく他校に転勤させることができること
・残業を強要することができること
・労働時間の制限を拡大または排除することができること
・支給されたパソコンなどの業務用機器において、教育・指導に関する内容を監視することができること
などが含まれた。こうした内容は、以前から活発となっていた抗議活動への制裁と広く受け取られた。
こうした抗議活動のニュースは、もちろん政府に近いメディアでは「複数の左派政党も積極的に参加した」、「このデモは、抗議として出勤せず、授業をストライキした教師5人が解雇されたことなどを受けて企画された」と、政府にとって好都合な内容に着目した表現法を使って報道された(このメディアの記事を皮肉ったものはこちら)。
政治的な緊張は、制度や言説のレベルにとどまらず、街中にも現れていく。その象徴の一つが、集会やデモをめぐる規制と、それに対する反発である。
2025年、フィデス主導で集会法の改正が可決され、公共の秩序や安全を理由に、デモの制限がより柔軟に運用できるようになった。形式的には法の枠内での変更であっても、その適用範囲の広さや恣意性への懸念から、実質的には抗議行動を抑制する効果を持つのではないかという批判が強まった。
こうした政府との対立は、やがて経済的・文化的中心であると同時に、政治的にも異なる方向性を持つ空間であり続けてきたブダペスト市の立場も危ぶめた。その象徴的存在が市長コラーチョニ・ゲルゲイである。コラーチョニは、政府の財政的圧力や制度的制約に対して、しばしば対抗的な姿勢を見せてきた。例えば、政府による資金引き上げや負担増に対し、財政運営上の工夫によって首都の機能維持を図り、LGBTQプラスのイベントも、「児童の成長に悪影響をもたらしうる」という理由で政府が禁止にしたにも関わらず、過去最高規模の参加者数を達成するほどの形で実施に持って行くのに大きな役割を果たした。これによりコラーチョニ自身がその後、当局から事情聴取を受ける事態にまで発展した。これは単なる1イベントの問題を超え、地方自治と中央権力の関係、そして表現の自由をめぐる緊張を象徴する出来事となった。
情報環境とプロパガンダ――分断はどのように強化されたか
ハンガリーにおける言論の自由は、禁止や検閲といったわかりやすい形で制限されているわけではない。むしろ問題となっているのは、政治的・経済的な力の組み合わせによって、メディア環境そのものが大きく偏っていった点にある。
国際NGO国境なき記者団(RSF)によると、フィデスと近い関係を持つオリガルヒによるメディアの買収が進んだ結果、現在では国内メディアの約8割が同一のネットワークの影響下にあるとされる。2021年にはKlubrádió(クラブラジオ)という最後の大手独立系ラジオ局が、形式的な手続きを理由に電波から排除されたが、この判断は後にEU司法裁判所から批判を受けることになった。
これらに続いて、RSFはニュースサイトIndex.huが広告収入の減少によって経営が不安定化した後、2020年にフィデスに近い企業によって買収されたこと、親政権メディアが批判的なメディアに対して「虚偽情報の拡散者」あるいは「外国勢力の影響下にある存在」といったラベルを繰り返し付与してきたこと、ハンガリーでは記者に対する物理的な暴力は比較的少ないとされる一方で、EU加盟国の中で唯一、Pegasusスパイウェアを用いてジャーナリストを監視た事例が判明したことなどに言及している。
こうした状況の中で、言論の自由は制度として消失したわけではないが、その実効性は大きく制約されてきた。何が報じられるのか、どの声が届くのかは、個々の記者の意思だけではなく、所有構造、資金の流れ、そして政治的な力関係によって規定されてきた。
フィデス支持者の情報源
ハンガリーのフィデス支持派が依拠する情報源には、やはり明確な傾向がある。まず特徴的なのは、政府寄りの語り口がほとんど疑問符なしに反復される点である。政策の正当化は常に前提として扱われ、異論は「外部からの攻撃」や「国家主権への干渉」といった文脈に回収される。 さらに問題なのは、情報の選択と配置の仕方だ。都合の良いデータや事例は強調される一方で、不都合な事実は沈黙か、あるいは矮小化される。この非対称性が積み重なることで、受け手の認識は自然と特定の方向へと誘導されていく。しかもそれは露骨なプロパガンダというより、日常的なニュース消費の中に溶け込む形で機能しているため、気づきにくい。 もう一つ見逃せないのは、外部の「敵」を設定する語りの強さである。EU、リベラル勢力、移民といった対象が繰り返し問題化されることで、国内の課題から視線が逸らされる構造が生まれている。このフレームに慣れてしまうと、複雑な政治状況も単純な対立図式で理解されがちになる。
プロパガンダ、パパが戦場に行く
フィデス政権下では数多くのプロパガンダが作られ、EUの本部が置かれているブリュッセルを批判するものや、「ハンガリー民族」第一主義と家族保護を第一に押し出すものなど、多岐にわたった。中でも2022年以降強まったのが、ロシア・ウクライナ戦争においてウクライナを批判するナラティブで、これは「隣国での戦争のせいでハンガリーでインフラが起こっている」ことなど、第一に汚職や情報操作とともに拡大した経済格差を、ハンガリーを「不利な立場に陥れようとする」周辺国ないし国際機関のせいとしたものがある。
マジャルが台頭してくると、当人への個人批判も含んだ偽情報が次々とフィデスによって流されるようになり、ティサが新たに「ティサ税」をかける計画を立てているというデマも流された。さらには、ティサを親ウクライナ派とし、ウクライナから資金援助を受けているという流言、そこから発展して戦争支持派と解釈した、敵と敵を結び付ることでフィデス支持層のさらなる結束・拡大を狙う作戦がとられた。

さらに、反対勢力に向けて親政府派メディアや政府によって繰り返し使われてきたのが、「poloska(カメムシ)」という表現である。もともとは、密かに録音を行ったマジャルを指して使われはじめた言葉だが、やがてその意味は広がり、政権に批判的な人々全体を指すラベルとしても用いられるようになった。そこには、「隠れて何かを探る存在」や「裏切り」といったニュアンスが重ねられている。
AIを駆使したプロパガンダの制作・拡散も徐々に激しくなっていった。2026年2月19日にフィデスによってFacebookにて公開されたAI生成映像では、少女が台所で調理中の母親に「ママ、パパはいつ帰ってくるの?」と、窓の外をうかがいながら聞き、母親がそれに対して「もうすぐよ」と涙ながらに返す中、戦場にいる父親は仲間とともに敵軍に銃殺されるという様子を描いており、フィデスのみが平和を維持できると論じている。動画の描写には「AI生成映像」と明記されてはいるものの、あまりに過激な内容、子供が映像を見た場合の精神的な負荷を軽視するもの、事実に基づかない、非フィデス支持層全般を対象とした排他的な論点として批判が殺到した。
こうしたAI生成プロパガンダへの批判は、フィデスによる情報操作の明確な強化だけでなく、ここに膨大な金額が投資されていたという点にも向けられている。


転換点――録音スキャンダルと政治的再編
2024年3月、マジャルが元妻で元法務大臣のヴァルガ・ユディットとの会話の録音を公開したことは、単発のスキャンダルというより、それまで蓄積していた疑念に実像を与える出来事だった。この録音でヴァルガは、オルバンの側近であるロガン・アンタルが重大な汚職事件に介入した可能性や、当局者が文書から高官の名前を削除しようとしたことなどに言及したとされる。この内容がFacebookで公開されると、情報は瞬く間に拡散し、大きな政治的波紋を呼んだ。
この前後で、マジャルは新政党を樹立し、国内外の町や村を巡りながら人々との対話を重ねていった。これがティサ支持層の確立に大きく貢献したわけだが、その過程で起きていたのは、支持の拡大以上に、分散していた不満や違和感が議論の中に共有される機会を得たことと分析できる。
そしてこの録音を境に、あるいはそれに呼応するかのように、政府を巡る不祥事が次々と表面化していった。ここ数年、特に直近数カ月の間には、単発では捉えきれないほどのスキャンダルが連続的に報じられるようになった。
例えば、4月の選挙を目前に、政府機関の関与のもと、対立政党ティサに対する諜報機関の運営が指示されていた疑惑が浮上した。また、オルバン首相の息子が、アフリカ・チャドの戦闘地域へハンガリー軍隊を派遣する計画を立てていたとされる問題も波紋を呼んだ。さらに、フィデスが選挙を前に地方で賄賂の受け渡しを行っていたとの指摘や、ブダペストのスーロー通りにある児童自立支援施設において、施設長らによる児童への暴行・暴言・わいせつ行為があった件も発覚している。後者については、政府側が事実関係を否定し、情報提供を拒んだことで、何ヶ月にもわたって明確な捜査結果に繋がらなかったことや、当事者であり肉体的・精神的な傷を負った児童の供述が真剣に取り扱われなかったことも批判を強めた。こうした一連の不祥事は、国内の政治不信を増幅させ、人々の政治観に大きな影響を与えた。
この期間に数多くのドキュメンタリービデオが制作・公開されたこともあり、のちにNetflixをNER(Nemzeti Együttműködés Rendszere、国家協力体制。オルバンによって導入された経済・メディア・社会の広い分野に影響を及ぼす中央集権的な権力構造で、国内資本の強化を目的としている。)ともじったNerflixという名前で、フィデスのスキャンダルを扱う動画をまとめたウェブサイトも作られた。
芸術、独立メディアの対抗
この間、特に2025年に入ってから反政府運動において主導的な役割を持つようになったのがハンガリーの音楽界である。むろん、これ以前にも社会批判的な作曲活動は数多く見られたが、ストリーミング数の異常なほどの躍進という点や政治・社会的内容の採用のエスカレートという点では、大きな転機は同年1月末にリリースされた、Majka(マイカ)による「Csurran, Cseppen」が発端という見方が多い。この楽曲は、Majka本人によると空想上の人物を主題にしているとのことながら、実際には政府を目に見える形で皮肉るものと受け取られ広く反響を呼び、YouTubeではわずか4日で500万回再生に達するほどの凄まじいものとなった。
Majka - Csurran, cseppen (2025) Szóval csak túl kellett élni a választást Megint kitalálni valami jó bemondást Kellett valami, amitől féljenek Valami bonyolult, amit úgy sem értenek ー要は選挙をただ乗り切ればよかった また何かうまい決まり文句をでっち上げて 人々が恐れるような何かが必要だった どうせ理解されないような、何か複雑なものが(筆者の訳、正確ではないかもしれない)
それ以降、それにつられるかのように、ハンガリーの社会問題ないし政府批判をテーマにした歌詞を含む楽曲が次々と異常に高いストリーミング数を達成し、選挙直前に至るまで、オルバンを指名で批判するような楽曲も含め、この風潮はとどまる様子を見せなかった。
BETON.HOFI - Be vagyok zárva (2025) Este van este van, ki-ki nyugaton van Lepihen a honvágy, anyagi nyugalom van Requiem egy álomért, de anya ugye jól van? ー夜だ、夜だ、それぞれが西の国々にいる ホームシックが治まって経済的にもゆとりが出てきた 夢にささげたいけにえ でも、母さん、元気だよね?(筆者の訳、正確ではないかもしれない)
Mehringer, BALKAN VIP, sosehol - Szar az élet (2025) Velünk vannak a rendőrök remeg a párt Attól még ember vagy hogy van egyenruhád Kussoljon a sajtó te is fogd be a szád Jó helyre húzta az x-et a nagymamád ー警察は俺たちといて、党は震えている 制服を着てるからって、お前だって人間だろ マスコミは黙れ、お前も口を閉じろと おばあちゃんの投票は正しかったか(筆者の訳、正確ではないかもしれない)
6363 - Politika (2025) Hangolódj rá, hogy ők többet markolnak egy markolónál És nem gond, hogy nem marad tanár, mert max majd a Deutsch megtartja az angolórát ー気をつけろ、奴らはショベルカー以上にかっさらっていく 教師がいなくなっても問題ない、最悪はドイチュが英語の授業をやるだろうから(ドイチュはフィデスの欧州議会議員。筆者の訳、正確ではないかもしれない)
Azariah - Utema (2026) Oh, megannyi gond van, annyi baj van Azt hazudják, hogy minden rendben Embertársak ott lenn a mélyben Kezedet nyújtod, vagy félrelépsz talán Megteheted, ne hidd azt, hogy nem teheted Belépsz a kapun, a múltat eltemeted Reformálni kell ahhoz, hogy penge legyen Hogy a suli meg a kórház az rendbe legyen ーああ、問題は山ほどあるし、苦しみも多い それなのに、すべてうまくいっていると嘘をつく 人々はずっと下に取り残されている 手を差し伸べるのか、それとも避けるのか できるんだ、できないなんて思うな 門をくぐって、過去を葬る 改革をして、立ち上がらなくてはならない 学校も病院も、機能するように(筆者の訳、正確ではないかもしれない)
政権交代の流れの中で目立ったもう一つの変化が、独立メディアの存在感の増大である。これまでも存在していた批判的報道や調査報道が、より広い読者層に届くようになった。象徴的なのがHVGの全コンテンツの無料化である。これまで有料領域にあった記事が選挙直前に期間限定で開放されたことで、ニュースアクセスの障壁が下がった。
若者の動き、選挙
4月12日の議会総選挙を前に、通常投票率が低い若者に投票を呼び掛けるため、 「Félmillió Fiatal(50万人の若者)」という団体が結成された。こうした動きは、決して国内のみにとどまるものではなかった。過去2年間徐々に強まってきた変革の余震を感じた部分が大きかったのだが、国外に移住した人々の中には反フィデス政権の者が多数を占めることは以前よりささやかれていたものの、複雑な登録システムや国外移住した人々の無関心を心配する声もあった。同時に、過去15年を上回る規模で、国外ではなく国内進学を希望する高校生が出たことは、変革への希望を多くの若者が強く感じ取ったことを示している。
選挙の局面では、通常の政治参加の枠を大きく超えた動きがみられた。投票の2日前にブダペストで大規模なコンサートが開かれ、政治的な空気が可視化される場面が広く活発に見られた。さらに、投票そのものについても、最終的には海外に移住した人々が投票のために帰国するまたは現地で過去に例をみないほどの数で参加した。
この動きの背景には、単なる政治的関心以上のものがある。支持・反対のいずれの側に立つにせよ、多くの人々にとって投票は「日常の選択」ではなく、「社会の方向性そのものに関わる行為」として受け止められた。一部の有権者は、社会分裂が広がる中で、職場や居住環境における不利益や、周囲との関係性の悪化といったリスクを引き受けながら政治参加することになる。同時に、ソーシャルメディアは単なる情報共有の場を超え、政治的意思の表明の空間としても機能した。投票行動そのものや支持の表明が公開されることで、個人の選択は匿名的なものではなく、半ば社会的な自己提示という形をとった。
現在
政権交代の直後、まず目についたのはメディア環境の急激な姿勢の変化である。これまで外交や安全保障の文脈で前面に立っていた外務貿易大臣シヤルトー・ペーテルのような人物の発言は独立メディアによる報道の可視化、責任追及の対象となり、同時に絶対的な情報操作能力を数時間で一気に失った。その一方で、旧来の親政府メディアの対応は複雑で、Magyar Nemzetの、マジャルに対し「カメムシ」という表現を使ってきたことへの謝罪ように、生き残るための大きな軌道修正が現在起きている。
この過程を外側から眺めると、ある種の「喜劇」のようにも見えてくる。昨日まで確信をもって語られていた前提が、翌日には別のトーンで語り直される。その振れ幅の大きさから、私は「ドラえもん」の、ジャイアンを前にした時のスネ夫の性格を連想してしまう。メディアの優先順位や言葉の選び方が政権に応じて変化してしまうというのは、単なる編集方針の問題ではなく、視聴者・読者の世界観に大きな影響を与えるのを回避できないという根本的な現実が軽視されていることを示唆する。
ハンガリー語には「káröröm」という言葉がある。「kár」は損害や不利益、「öröm」は喜びを意味し、これらを組み合わせたこの語は、皮肉的に他者の不幸を喜ぶ感情を指す。現在、オルバン政権の終焉を実現したハンガリーにおいて、この言葉はまさに現状を象徴しているように見える。フィデス政権の汚職がこれまで以上に次々と明るみに出るなかで、寡頭政治を支えてきたエリート層が、今度は不利益を被る側へと転じつつある。その様子を目の当たりにした反フィデス派の人々の反応は、「káröröm」という言葉によって的確に言い表されるだろう(この言葉を日本語にも欲しいと思うのは、私だけだろうか)。
ティサ政党を積極的に支持する人々のあいだには、時代の変化や生活の改善への期待から、希望によって気持ちが軽くなっている側面も確かにある。ただその一方で、いま前面に出ているのは、それだけではない気がする。新政権の発足までまだ時間があるこの段階で、同じく強く感じられるのは、急速に弱まった既存の権力を容赦なく切り捨てようとする、いわば下剋上にも似た動きである。誰よりも若者たちが中心的な役割をとってきた一連の動きだが、それは、長年にわたって積み重なってきた分断や排他的な姿勢に対する疲労感の裏返しでもあるのだろう。ここ数か月、そして正式な政権交代を目前に控えた今も再び強く、それが抑えきれない怒りとしてユーモラスに、しかし公然と表出しているようにも見える。
今後の課題
現時点で、ハンガリーの新政権には、国民の権利や生活を保護・保障する体制の確立に向け、早急な対応が求められる深刻な課題が山積している。当選確実の報に接し、何千人もの歓喜に包まれる中で、マジャルが掲げた「すべてのハンガリー人を代表する存在になる」という言葉が、今後の政治にどのように反映されるのかは大きな注目点である。新たな時代を迎えたハンガリーにおいて、正当な監査機関のもとで国民の声を広く反映する政治が実現するかどうか——その行方を、国民自身がこれまで以上に注視し続けることが求められている。
一国のリーダーがある特定の対象を排他的に見るとき、安泰が維持されることはほぼ不可能に思われる(というか、そう思いたい)。それが同国民のあいだにわだかまりを生むものであれば、なおさらだ。同時に、細分化の対象が増えるにつれて不満もまた広がっていく――この点において、ハンガリーの事例は示唆的だと言えそうだ。
もう一つ考察すべきなのは、画像や映像が持つ影響力を過小評価すべきではない、という点である。政治的にどの政党を支持するにせよ、あるいは批判するにせよ、情報に溢れる現代社会において、私たちはできるだけ短時間で情報を仕入れる作業を日常的に繰り返している。そして、その「仕入れる情報」自体もまた、アルゴリズムによって整えられている。そうした環境に画像や映像が適しているのは確かだが、それらが常に正確であるとは限らない。この点は、メディアリテラシーの観点からも常に念頭に置く必要があるだろう。
一方で、中立性が望まれる文書メディアも含め、情報を提供する側にもそもそも全体像を捉えきることはできないという事実は、しばしば見落とされがちだ。私自身の表現力も拙く、記事に載せられる内容は現実のごく一部にすぎない。それでも、もしわずかでも人々の声を何らかのかたちでここに反映できているのだとすれば、それはささやかながらも意味のあることだと思いたい。